小鹿野歌舞伎のはじまりは、
初代坂東彦五郎が伝えた江戸歌舞伎。
歌舞伎のはじまりは1603年、出雲の阿国(いずものおくに)が京都で始めた「かぶき踊り」です。当時の最先端ファッションや奇抜な男装、傾き者(かぶきもの)の扮装やしぐさを取り入れた歌や踊りは大評判となり、人びとを熱狂させました。その後、歌舞伎は江戸や上方で磨かれ、その文化は地方へも広がっていきます。各地の人びとがそれを手本に芝居を演じるようになり、生まれたのが、「地芝居」「村芝居」とも呼ばれる村歌舞伎です。今回取材にご協力いただいた小鹿野歌舞伎保存会会長の山本正実さんも、歌舞伎は「江戸と京都と大阪という大都市で栄えたものが、地方に伝わっていった」と話します。
小鹿野歌舞伎の始まりを語るうえで欠かせないのが、秩父市下吉田出身の初代坂東彦五郎です。文化・文政期、彦五郎は江戸で修業を積み、帰郷後に地元の若い衆へ芝居を教えました。これが発端となり、江戸で磨かれた歌舞伎文化が秩父地域へ広がっていったとされています。山本さんも「江戸から直に入ってきた当時の文化ですから、その当時の人たちは飛びついて、盛んに練習したんでしょうね」と話していました。秩父に入ってきた歌舞伎が、単なる外からの芸能ではなく、人びとの心をつかみ、地域の文化として根づいていったことが伝わってきます。
秩父に広がり、守り継がれてきた歌舞伎文化。
その後、秩父では西秩父方面を中心に活躍した「大和座」と、長瀞・秩父市方面を中心に活躍した「和泉座」が歌舞伎文化の最盛期を支えます。小鹿野歌舞伎はこのうち大和座の系統に属していましたが、昭和に入ると、映画の流行や社会の変化によって地芝居は次第に衰退し、一時は途絶えかけました。
その流れを変えたのが、昭和46年に始まった郷土芸能大会。小鹿野町では伝統文化を見直す動きが高まり、昭和48年に小鹿野歌舞伎保存会が結成されました。昭和50年には埼玉県指定無形文化財の保持団体となり、昭和52年には無形民俗文化財に指定変更。後継者育成や保存活動を重ねながら、今日までその伝統を受け継いでいます。初代坂東彦五郎がもたらした江戸歌舞伎は、時代の波に揺られながらも、地域の人びとの手によって今へつながってきたのです。
