
貨幣制度確立を目指し、明治政府によって創設された造幣局

明治4年、新政府は近代国家としての貨幣制度確立を目指して、現在の大阪市北区に造幣局を創設。当時としては画期的な洋式設備によって貨幣の製造を開始しました。
当時の日本は、機械の力を利用して行う生産工業が発達していなかったため、大型の機械設備は輸入に頼り、貨幣製造に必要な素材や機材の多くは自給自足を余儀なくされました。一方、日本で初めて「複式簿記」という近代的な事務処理法を採用したり、断髪、廃刀、洋服の着用を率先して行うなど、造幣局は「文明開化」の先駆者として日本の近代工業や文化の発展に重要な役割を果たしたと言われています。
その後、時代の要請にこたえて、勲章・褒章や金属工芸品などの製造、地金・鉱物の分析・試験、貴金属製品の品位証明(ホールマーク)などへと事業を拡大。昭和4年には、さいたま支局の前身となる、ホールマークを主業務として手がけていた東京出張所が、東京市麹町区に開設されました。その後、業務拡充のため東京都豊島区に移転した東京出張所は、昭和18年に「東京支局」、平成15年には「独立行政法人造幣局東京支局」となり、平成28年「さいたま支局」として現在のさいたま市大宮区で新たなスタートを切ることになります。博物館が併設され、工場の自由見学も可能になるなど、さいたま支局は地域に開かれた施設として人々から愛され続けています。
